ついらく

Hop Step そして、ついらく。

 えらいとばしたつもりでチャリこいできたけど、行く当てない言うのんは距離が稼がれへんもんや、おまけに大川の土手の上の道はダンプがブンブン飛ばしょるからデコボコ穴だらけでケツは痛いしなんか内臓まで苦しゅうなってきた。
 ほんま高校までなってなんしょんやろ子供のころ大人は大きなったら人間段々立派になんねんで、言う幻想を親も先生も一杯ばら撒いてくれたけど、隣の奴見ても後ろの奴見ても勉強家はいるけど、おまけに立派なこと言うてる世間の荒まで見えてきて、わっ、頭の中隙間だらけや。
 ほんまはそんな隙間見んと世間の約束事適当に守って、まあ、時々ちょっと悪いことして謝ったら済む程度のことや、うまい事世の中に合わして行くのが人生や、そんな事分かってるわい、そうやから余計腹立つねん。
 理屈は理屈や、そんな事言うとったら’へ’理屈の方が面白いわ。言うて理屈並べて始めると、待ってましたとばかりに攻撃してくる世間に、そうやおちゃんおばちゃんのことや、それがほんまの’へ’理屈や言うてもなかなか分かってくれよれへん、そんな時スカンクの’へ’におおた時みたいに、耳に栓して逃げないあかん。
 世の中ようできたもんで、敵は毎日、日常会話の中で、お互いNon-Comunicationで話し手A、話し手Bになってお互いのの話も聞かずにしゃべりまくるのが得意やから相槌も打たんと聞いていると、’あんたら不実’や言ういて罵るんや。こっちははっきり言うて分かれへんことは分かれへんと、説明して欲しいわ。また、説明が下手やから余計分かれへんようになよる。こっちがそっちまで行けるように、そっちがこっちまで来れるように何かあんたらはエエ く ふ う ないのんかいな。

 あの工場のところまで行って折り返してこう、息切れて来たけど調子ええわ、親父は学校へ行くだけやから中古自転車でエエ言うて、俺が3段変速欲しい言うても買うてくれへんなかったけど、まあ実際いろいろ悪さされるからこの方がエエねんけど学校も行けへんからおんなじことはおんなじや。
こうやって土手の上ウロウロ走りまわって時間つぶししておふくろが田んぼへ行ったら家帰って寝る、昨日ほとんど徹夜で勉強するふりして大人の小説読んどったから眠たいんや。2~3時間寝て、昼頃親父のヘソクリ盗んで神戸行こう。
 何を間違ごたか知らんけど、まあ受験校の端くれに入るような高校に入ってむた。中学校の時はそらー勉強嫌いな方やなかったけど、受験勉強と違うかったから、人並みにー民主的言うことー---勉強しっとたから及第やねん、まあ、何かでまちごて100点取ったりしたことなんかもあるけど、まあ、まぐれ、自信あったんもあるけどなぁ、まあええねんそんなこと、学校をサボるようになってからも本は読むで、日本の歴史なんか他の本で読んだら、教科書開けて ’??????’なれへん奴はアホや、もっとも随分前から数学に関しては?????、’Hahaha’やけど。なんせ今2年の夏休み前やけど、先生偉そうに、’もう3年分の授業すんだでぇー’やて、アホちゃうか3年の時間は3年いるから3年や、あたりまえや。

あたりまえのことがあたりまえでなくなるのが現在や言うてしたり顔しとるおっさんおばはん、あたりまえのこと言うないうなっておっさんおばはんも言うとたやろ。 腹たつ言うのはこういうことやねん、わかるやろ、俺はその辺の悪るガキと違う、ワイ言うて見たりオレ言うて見たり、私、僕、かなり臨機応変やで、ちょっと頭使わな、そうやのにその辺のおっちゃんやおばはんはー-親父もおふくろも先生公もー-ちょっと頭使こうて物言わなあかんわ。’おおきいどんがらしとって’言うて文句ばっかり垂れとったら信用無くすんや、ある程度背伸びしていることも含めても、わいらは1日一瞬が新しいいんや、おっさんはおばはんは、もう昔のこと忘れたいんか知らんけど、忘れたい毎日に飯のため働いているところ、その昔のあんたらが忘れているところに俺らいてるんや。

 やっぱり時代の重みいっちゃん感じているのはわいらや。銭のことで悩んでいるのはあんたらやけど、銭のこと解決早いんと違う、心の問題はいろいろ言われてもすぐには何ともならんで、そもそも大人が解決でけへん つけ を子供にまわしよる、それが歴史や、受験、大学とかの問題はにしても大人の作ったシステムで、それを子供に無理矢理乗せよう言うやさかいちょっと無理があるわい、その無理や言うてんのを、落ちこぼれや言うて、よう教育もせんと、前代からの山積された問題を平気で次の世代に託すなんか言うて平気な勘違いしているおっさんおばはんが一杯いとるからや、ただし、すーっと大人のシステムに入って行ける奴もいてるやろし、まあ、人それぞれやし、ええ大人もいてるやろ。

 力尽くでカクメイ言うてるのもカッコええけど、なんかヘルネットと火炎瓶では、あの国家権力とか言うやつには余りにも無力やし、無力やからええし応援もしたいけこど、もうひと捻りした作戦はないのかいな、そうやないと世間のおっちゃんおばちゃんに嫌われるし、国からは犯罪言われて行くとなくなるやん。
 そうや世の中,何かもう一つ要るんや、たぶん言葉で表すと単純過ぎて、みんな、右の耳から左の耳、口の穴からケツの穴,みんなわっかっとるんや。それでもわっかってるけどでけへん、アホは死な治れへん言うこっちゃ。死んでも治れへん。

10時頃土手を自転車で走りまわって1時間潰してから家に帰る、案の定おふくろは田んぼに行っておれへん、これやからもう百姓辞めた農家はエエねん。だぶついた余剰肉体労働力を知的労働にまわせると言うこっちゃ、親父は働く歯車の一部やからこの時間帯には絶対おれへん。ちょっとした運動で腹がすくわい、若い馬鹿いと一緒や言われそうやけど茶漬けで腹ごしらえして布団に潜り込んで知的労働に励むねん、そうやけど昼前には家を出な、おふくろが昼飯食いに帰ってきょるやろ、そのころには電車に乗って神戸に向かってな、俺はワル違うから制服のままでかける、捕まっても受験の準備で神戸まで参考書を買いにきましたとか、予備校に用事があってとか言うとったらエエやろ。俺はまだブラックリストには載っとらん、布団の中で小説雑誌を読む、アホな雑誌やと思うけど俺なかなのファンやねん、時代もんからすけべーなやつまで手軽やし、純文学なんか受験勉強と一緒やん、そんなややこしいのは1年で1回でエエ、読み物は当たりはずれがあるけどなぁ、この時々当たりはずれがあって面白い言うのが大人の世界やろか、俺ら何でもいつでも何処へ行っても面白いことが一杯ある、少なくともあると思ってそっちに行ったりする、そうやけどいつも300円も出して雑誌こうて(買って)見かけは分厚いけど宣伝もおおうて、時々面白いないのは大人の世界と相対するのやろか。

 まあほんま程度があるけどいやらしいやつがエエなぁ、やっぱりひと捻りがあって、単純にスケベー言うんやなくて自然におちんちんが立ってすーっつと頭から血が抜けて行くようなんが最高や、単純にスッポンスッポン言うのは、そうやけどそんな話に出てくるおちゃんおばちゃんもみんな元気やその元気を能力に置き換えてくれたら世の中もっとまともになったん違うん?

 金はいつものところにあった、まあ1万円だけ貰っとく、これがあったら十分これ以上ではバレるやろ、もうバレてんのやろか、バレてたら置いてないやろ、そうやけどみんなバレてて駅に着いたら御用ーってなことになれへんやろんなぁ、まあそれは気の使いすぎやで、そこまで考えているとおとなと一緒や何もでけへんようになる。

 駅まで自転車で行く、わざと顔見知りの自転車置き場で元気な挨拶して、’あれ今日学校休みかいな’’ウン、受験の準備で神戸まで行くんや’’ほな頑張り屋’なんか言うて電車に乗る、昼頃になると快速電車(まだ新快速はなかった。)はちょっとした旅行気分や、人おれへんから好きなとこ座れるし、やっぱりこのリズムがええのやろか、きざなやつやったら母の胎内に居たときの記憶を蘇らせるとか言うやろけど、やっぱり基本的なリズム言うのは人を落ち着かせるもんかも知れへん,おまけに景色が休みなく変わる、これは変ない言かたやけどぼーっとして飽きない、飽きもせずぼーっとできる、ほいで駅に近づくとウトウトしていたなのにスローダウンして止まり人があちゃこちゃへ動く、ほいでまたスピードアップして巡行速度に戻り、リズムが一定する、海が現れたらもう参ったやで、天気がエエほうがエエかも知れへんけど、天気が少々悪うても海はその存在感で山に勝ってる気がする、海はいつ見てもも動いとるもんなー、で、ごつごつして。

 家や工場のある街並みに入る時そろそろ神戸や、そうやなー、思わずそんな感傷に浸らすところが電車のエエとこや、エエ歳したおっさんやおばはんなんかでもぼーっとしてるやろ、あれやで、あれが葬式の時の走馬灯に繋がるんや、ほんまかいな、言うてるうちに神戸や、神戸も三宮も値段一緒やのに何時もここから歩く、別に目的がある訳と違うからとにかく歩くんや、朝の土手の上で自転車で時間潰すのと一緒にや、動いてる?足踏みしてるんや、まあこんなこともあるわいな、こんなことも日々の生活で ’必要やったんやなぁ’とつくづく思うのは、何か高校に入ってから急に忙しかったような気がする、人間余裕をなくすとあかんねんでやっぱりと、ぶつぶつ言うてんのはエエけど、今日も切符を買うてない、一区間分だけで改札突破や思てるんやけど、金持ってるんやから素直に払たらよさそうやなもんやけど、わかるやろ素直になられへん、作戦なんかあらへんそんなんおっさんおばはんのすることや、チャンスを見てひたすら走るんや、まず大人を出し抜くには冴えた頭のもたらす敏捷さや、だいたいみんなが降りてから降りる、走るには距離がいるから、間隔ととる、やっぱり慣れてないことやらドキドキするからゆっくり階段を踏みしめように降りる、でないと滑って転んだらもともこうもない、ほとんどの人が改札口を出るのを待つ、正直ゆうて100mはあんまり早よない、駅員なんか普段あんまり走ってないやろ、そうやけど調子悪かったらトイレ行って小便しておならこいたらエエねん、糞でもしたら、糞 度胸がつく? -余裕できてきぞー ’そら今や’改札を飛び越える、一瞬、’うん?’’こらーーーー、待てーーーー’振り向いたらあかん、足音がパタパタ言うとる、全速力で走るんやあんまり曲がってもあかん、真っ直ぐ出来るだけ真っ直ぐに走ったら疲れが少ないやろ、あのパタパタ雑音はもう聞こえへん、まだ安心したらあかん駅員は駅の外まで追いかけられへん、あとはおまわりさんの仕事やと聞いたけどもう警察に言うてるやろな、それやったら余計止まったらあかん、しんどいけど捕まったらもっとしんどいで、こういうときうちの高校の制服はエエ、ありふれているから、駅員が警察にどんな奴やいわれても黒い学生服のー身長160ぐらいのーそんなやつどこでもおるやん、ちょとスピード緩めて振り向いた、誰もおれへんけど相手は大人やし公務員やから国家の面目にかけて規則違反でも追いかけてきょるかも知れへん、もう商店街のアーケードの下に入ったからあんまり一生懸命走っていると怪しまれけどもう少し駅から遠いとこ行くまでは横丁にそれたらあかんと思うんや、後ろのことが気になるけどそうやから余計振り返ったらあかんし遠ざからなあかん、ぼつぼつ速足に変え普通の歩き方になり風景に紛れこまなあかん、もともと駅員にしてもそんなことたいした事ではないやろし、俺が走っていてもそんな誰も気にしてなかったし、はっきりゆうてこんなこと日常茶飯事と違うのん、そうやけどこんなことやってもエエとはもちろん思っとらんし、しょっちゅうしょうとは思わん、何でそんなことすんねん、言われたら困るな、さっき素直になられへん言うたけど、ある意味では俺は無茶苦茶真面目やからあんなことするねん言うたら答えの一部になるやろか?これは’へ’理屈やろな、でも思へんか、がんじがらめのこの世の中で何んか言おうとした時、ゆうた(言った)言葉が簡単に何かに当たって跳ね返って役に立たたず、どうしたらエエか分かれへんとき、自分を表現するすべが分からずもがいているというのは、そうやから銭のためでは絶対ない、面白いからやってる訳でもないし、落ちこぼれからとちゃうし、押し出されたから拗ねてる訳では絶対ない。

 もう口で言うのもいややけど、’大人は信用でけへん’’大人はうそつき’とか’勉強したくない’’学校いきたくない’とか、第一学校ではもうこの秋になると俺の次元にいている奴はおれへん、もうエイリアンやんか、それで俺もほっといて欲しいんや、俺からみたらお前らの方が裏切りもんや、俺は自由に向かってる、もうとても共通項が見つかれへん、学校はサボるし遅刻の常習犯、1時間目は居っても2時間目はおれへんし、怖い先生にはおとなしく弱い先生には口答えしょる、第一、大学なんかあきらめた奴はもう人間と違う言うのが受験校や、そうや、秀才やった生徒会長なんか家の都合かなんかで大学行けへん言うたら、いままであいつの周りにいてた奴ら何処かにいってむた、あいつかわいそうに最近ひとりで肩落として歩いとるやん、みんな薄情なもんやで、あいつは長髪運動の時大活躍したおかげで、みんな普通の頭で卒業出来るのに、そうやけど、あいつの次元と俺の次元はだいぶん違う、俺の方がずーっと低い、エエようにしか言えへんけど俺の場合は基本的で庶民的や、低次元とも言う、そうやから余計皆分かれへんし分かろうとも思へんし、結局みんな周りのこと、未来のこと見えてないやろし、見たない言うのがホンマかも知れへんし、見てもしょうがないというのも真実や、俺かて人の不幸どうしようもないやんけ、そうやけどこれは社会の一部の歪が俺を狂わせているんや言うても、他人のことやし、なんやら危険分子、過激派と思われるだけやったらエエけど、落ちこぼれという新しい階段を用意してくれてるみたいな、そうやねん皆囚われの身や言うてんのや、誰かどこかで自分の都合のエエように皆を連れて行こうとしてるんや、もっとみんながバラバラのはずやのに、いろんな階段を用意してくれてそこに収まるように仕組まれているんや。

 もうそんなに怖がらんでもエエやろ、俺は悪ことををエエとは言うとれへん、俺は今のところ膿やんか、そのうち治るかも知れへんけど、もっとひどなるかも知れへん。

どこかで休まなあかん、普通歩くのに息を切っている人間おれへんやろ、こういうとき喫茶店に入ると目立つ、まさか八百屋で買い物って言う訳にはいけへんから、やっぱり本屋しかないかな、本屋で立ち読みこれは学生らしゅてエエ,普段本屋に入るとわーいい一杯勉強出来ると思ったりせへへんか?一杯本があると、一杯勉強出来ると思ってたころが懐かしーわ。でも今でも難しいそうな本の前に立って、’う~ん’と言うて唸ってるのは好きやで、たまに買うて自分の本棚に飾ると満足するやん、そうやけど本屋にはもう一つ誘惑がある、あの商品の並べかたと言うのは窃盗犯の心をくすぐるもんがある、同じ本が何冊も積んであると、ひとつぐらい分かれへんやろーーーーてなことになるんや、それでこれは高校生にはポピュラーやけど、あのカバンあるやろ、あの背中の方ジッパーのついてる入口や、あれがなんのために付いてるんか知らんけど、あの底の方をナイフでビィーと切っとっくねん、それで山積みされている本の上にチョンと置いて知らん顔して他の本を読みながら店員の様子をうかごうて、鏡の位置を確認して-----、一回やる前に何回か練習しときや,右利きの場合は右手でカバンを持ち上げ、左手で本をカバンの下から押し込む、左脇がやっぱりエエやろな、左脇にカバンを抱えて店をでるんや、これで’こら-’言われへんなかったら成功、’こらー’言われたら足を生かすしかないやろ、捕まったゴメンと謝るしかないなぁ。

 でも、今日はその予定はない、1日1悪 やで、 若いうちからせこい事ばかりしとったら、大物にはならへんでーーー。

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